夜子のエッセイ

エッセイ書いてますです。寝る前に読んでね。共感してね。底辺が大好き!23才無職女ですます。

ドアを開けるのが怖い人の話

 私はドアを開けるのが怖い。

 

決してドアを開ける行為そのものが恐ろしい訳ではない。正確には人前で ドアを開ける時、間違えるのが怖い。 「押す」か「引く」か。その二択を公 衆の面前で迫られる状況が恐ろしくてならない。

 

 私がこの恐怖を初めて知ったのは小学生の時のパソコン教室だった。 いつもの教室にはそもそもドアがなく、廊下と繋がったオープンスペース で過ごす毎日だった。 中学年~高学年頃になって初めてパソコンを使う授業 があり、例のパソコン教室に足を踏み入れた。

 

 授業開始時は先生がドアを全開にして固定していたため、私がその恐怖と 対面したのは授業中トイレに立った時だった。どの学校のパソコン教室も異 様に涼しかったのをよく覚えている。お陰様で毎回トイレに行きたくなるの は私だけだろうかと毎度の事疑問だ。きっとその時の私もトイレに行きたい 以外の何も考えることなく席を立ってしまったに違いない。ドアを1人で開 けなければいけないなんて事までは頭が回らなかった。

 

 40名もの生徒がいるとは思えないほど静まり返った空間。 聞こえるのは キーボードのカシャカシャ音と、時々生徒たちの画面を見て注意や指示をす 先生の小さな声だけだった。そんな空間で立ち上がり真っ直ぐドアに向か えば子供達の視線が私と、私の先のドアに集中するのはごく自然な事。私は 既に若干の緊張を感じながら自身の靴に手を伸ばし、履いた。そしてドアの 前に立った。そこにはドアがある。当然ドアがある。オープンスペースでも 引き戸でもない。 「押す」か「引く」かのドアがある。一目見ただけでは分 からないその二択に私は初対面の恐怖を知り冷や汗をかいた。後ろは向けな い。あまりに恐ろしくて。 教室の人間全員が私を見ている気がした。背中が 熱かった。今思えばきっと見ていたのは2、3人だったと思う。でもその時 の私は崖の淵にいるような恐ろしさを背中に感じ、時間も映画マトリックス の銃弾を避ける時の様なスロー感だった。

 

 出来ることなら誰かが開けたドアに滑り込みたい。

 

 友達に「押すと引くどーっちだ!」とおちゃらけたフリしてやり過ごしたい。

 

 皆が帰った無人の教室で心置きなくドアを開けたい。

 

 でも私は1人で立ってしまった。後悔した。 教室を代表してドアの前に立 つ幼い戦士は思いっきりドアを引いた。

 

 

 

 間違えた。

 

 

 

 鈍い音を立てただけのドアは開かず、私は幼いながらに絶望した。近くの 席から聞こえるクスクス声。いつもおちゃらけた半袖短パン少年からの「今 引いたでしょ?それ押すだよ!」の悪気ない言葉。

 今間違えたんだから分かっとるわい!先に言ってよ!と心の中で号泣し叫 んだ。 実際は熱くてたならない顔を一度も振り向かせることなくそそくさと トイレに向かったと思う。

 

 それ以降私は最初にドアを開けるのを避けた。誰かが開けたドアを一度見 て、それから開ける。 我ながら面倒くさいガキだと思う。それでもドアは誰 かが開けてくれるのを待つ日々だった。

 

 自身でドアを開けるトレーニングを積み、今では0、5秒で押すと引くを 瞬間的に試せる程ドアを開けるのが上手くなった。 (このやり方をすると間 違えていることに気づかれない気がする)

 

 が、しかし大人になった今でもドアを開ける恐怖心は消えない。おそらく 今後も消えないだろう。